医学および歯学の発展と、力量の高い医師・歯科医師を育て、社会へ送りだすために、死後に自分の肉体(遺体)を解剖学の実習用教材となる事を約し、遺族が故人の意思に沿って医学部・歯学部の解剖学教室などに提供することです。
解剖には大きく分けて次の3種類があります。
1.正常解剖:人体の構造を調べるための解剖
2.病理解剖:病変を調べるための解剖(死後すぐに実施)
3.法医解剖:変死体の死因を調べるための解剖
献体の場合は1の正常解剖となります。
1754 |
山脇東洋が死刑囚の腑分けを行う。我が国最初の人体解剖であった。 |
1868 |
吉原の遊女であった美幾が不治の病(梅毒)で死期が迫った際に、東京大学への遺体提供を希望した。 |
1869 |
美幾が34才で死去し日本初の篤志献体者となった。美幾の生涯については、渡辺淳一の小説「白き旅立ち」、吉村昭の小説「梅の刺青」などが題材に取り上げている。美幾の墓は、東京都文京区にある念速寺の本堂裏に現存する。 |
医学部は、「良医」を育てることが使命です。しかし、「良医」とは、知識だけ持てば良いというものではありません。必要なのは、高い倫理観です。しかし倫理についての知識を学んだだけではやはりそれは知識だけで終わります。
学生たちは、専門の勉強をはじめるにあたり、「解剖実習」を行います。「良い医師・歯科医師になるために、自分のからだを使って十分に勉強して下さい。」という願いをこめて献体されたご遺体から学ばせて頂くことにより、学生たちは解剖学の知識の習得と同時に、献体に対する感謝の気持ちと、その期待に応えなければならないという責任と自覚を持つことになります。御遺体は医学生にとって初めての患者であり、普通の学生が医師への扉を開く第一歩となります。
献体の最大の意義は、「自らの遺体を無条件・無報酬で提供することによって、学識・人格ともに優れた医師・歯科医師を養成するための支えとなり、次の世代の人達のために役立とうとすること」にあります。
昭和30年頃から始まった献体運動により、全国の医学部で解剖用の遺体が集まり始めました。医学の進歩は著しく、内視鏡やロボット手術まで発展し、従来よりもはるかに小さい傷ですむ手術、つまり患者の負担を減らす治療が続々と開発されています。その一方で、新しい手術を扱う医師には、より詳細な解剖学的知識が必要となりました。しかし、従来の大学では臨床に直結する医師の解剖はいくつかの理由により扉は閉ざされていました。2000年になっても医師は新しい技術を学ぶ為には、患者の身体で勉強するか、海外の遺体を使った研修センターへ行かねばならない状態が続いていたのです。
2009年に千葉大学から、患者の為に医師への解剖の扉を開きたいと依頼がありました。当時の役員会でも繰り返し検討し、医学・医療の発展の為という千葉白菊会の願いと相違ないことを確認しました。千葉白菊会総会で説明会を行ったところ、満場一致での賛意が集まり千葉白菊会としても積極的に応援することとなりました。従来の入会同意書(医学生の解剖向け)とは別に「医師の教育・研究のための同意書」(任意)を用意してもらい、広く会員から同意を募ることになっています。2010年に、千葉大学クリニカルアナトミーラボ(CAL)という施設が誕生し、毎年500名を超える医師・研究者が御遺体から学び、毎日の診療に役立ててくれています。2010年から続く千葉大学の先進的な取組は大いに評価され、2012年に「臨床医学の教育及び研究における死体解剖のガイドライン」の発行、2018年からは厚生労働省、2019年からは文部科学省から相次いで医師の解剖を国内で推進するための支援策が始まり、国内の多くの大学で医師による解剖の扉が開かれつつあります。
1949 | 死体解剖保存法 |
1983 | 医学および歯学教育のための献体に関する法律 |
2010 | 千葉大学クリニカルアナトミーラボ(CAL)設立 |
2012 |