薬理学教室の歴史は、明治初期の公立千葉病院の教科「薬物学」に始まる。千葉医科大学となり、 1924年現在の亥鼻台上に「薬物学教室」が落成。国立学校設置法公布により1949年に千葉大学医学部薬理学講座となった。
歴代教授は福田得志(1924~)、林亥之助(1933~)、小林龍男(1946~)、村山智(1970~)、中谷晴昭(1992~)、 安西尚彦(2016~) である。 1975年頃までの歴史については千葉大学医学部八十五年史、千葉大学医学部百年記念誌、千葉大学三十年史等に記載されている。
過去約40年の歩みを中心に述べると、大学紛争の最中に教授に就任した村山智教授の時代にはじまる。その前任の小林龍男教授は、 精神分裂病の治療に重要なクロルプロマジン等を中心に中枢神経薬理の研究を精力的に進めたが、村山教授はその流れを継ぎ、 ベンゾジアゼピン誘導体等の抗不安薬の作用解析を進めた。主として脊髄反射活動電位への薬効解析を指標としたが、その間、 脊髄介在ニューロンの選択的破壊による「虚血性脊髄性固縮」の作成に成功した。脊髄の介在ニューロン活動を抑制する手技は広い応用を残しており、教室でも脊髄虚血障害モデルによる研究や、脊髄後根より記録できる脊髄-延髄-脊髄反射活動電位の 生理薬理学的研究に応用された。また、社会的にも話題となったニューキノロン系抗菌薬の持つ中枢興奮作用、特に非ステロイ ド系抗炎症薬との併用による痙攣についてもいち早く着目して研究を行い、1992年3月停年を迎えた。
村山教授の後任として、1992年8月に北海道大学医学部第二薬理学講座より中谷晴昭が第5代教授として着任した。中谷教授の時代には新たに細胞電気生理学的研究法が導入され、細胞機能の維持に重要なイオンチャネル、トランスポーターの病態生理的役割の解析やそれらに対する薬物作用や受容体制御に関する研究が開始された。 主に心筋細胞を用い、微小電極法やパッチクランプ法により研究を進め、分子生物学的手法や遺伝子改変動物を用いた機能研究も行われるようになった。心房細動を中心とした不整脈の治療薬の探索、ATP感受性K+チャネルの病態生理的役割の解明、心筋保護薬の作用機構の解析等を中心に研究を行い、2015年3月停年を迎えた。
中谷教授の後任として、2016年1月に獨協医科大学医学部薬理学講座より安西尚彦が第6代教授として着任した。