ヒト生命現象を正確に理解するためには、ヒト(生物)の基本情報(遺伝子配列)を全て明らかにする必要がある。と言う基本概念の基、1990年、アメリカ国立衛生研究所(NIH)とエネルギー省(DOE)が主導して「Human Genome Project:ヒトゲノム計画」がスタートしました。このプロジェクトには日本・英国・ドイツ・フランスを始め世界各国の参加の基、国際協力で推進され、2001年2月のドラフト発表、2003年4月の解読完了宣言を経て、2004年10月に完成版の論文発表が発表されました。この歴史的なプロジェクト研究の成果として、ヒトのゲノムサイズは31億塩基対であり、そのうち真性クロマチン領域が29億塩基対、ヘテロクロマチン領域が2億塩基対であることが判明しました。また、当初100,000個あると言われていた遺伝子数は、22,287個であると結論づけられました。
ヒトゲノム解析結果のトピックスとして、ヒトゲノム中には遺伝子としてタンパク質をコードしないRNA分子が数多く存在していることが明らかとなりました。これらRNA分子は、細胞の発生や分化に関わっており「機能性RNA」と呼ばれています。機能性RNAの塩基配列は、特定のタンパク質のアミノ酸配列情報を持たないことから、非タンパクコードRNA (non-coding RNA)とも呼ばれている。機能性RNA分子のひとつであるマイクロRNA (microRNA : miRNA)は、19塩基~22塩基の1本鎖RNA分子として存在ており(成熟型miRNA)、その機能は、標的遺伝子の3‘UTR領域に結合し、翻訳抑制あるいはmessenger RNAの分解などを誘導することにより、タンパクコード遺伝子の発現を制御することであります。ここ数年の研究成果から、マイクロRNAは、発生や分化、形態形成、細胞増殖など重要な生物学的機能に関わっていること明らかとなってきました。癌の分野においても多くの研究報告が成されており、マイクロRNAの発現異常が癌遺伝子や癌抑制遺伝子機能を有する遺伝子群の発現ネットワークを撹乱させ癌の発生や進展、転移に深く関与する事が明らかとなってきています。
私たちの研究室(microRNA Research Network)では、いち早くマイクロRNA を研究課題として、癌細胞のマイクロRNA 発現プロファイルの作成と機能解析を行ってきました。これまでに、頭頸部癌、食道癌、肺癌、尿路上皮癌、腎癌、前立腺癌におけるマイクロRNA 発現プロファイルの作成が終了しています。また、これらプロファイルから癌細胞で発現低下しているマイクロRNAを探索し、機能解析から癌抑制型マイクロRNAを証明し、数多くの論文発表を行なっています。マイクロRNAのユニークな点は、一つのマイクロRNAが多くのタンパクコード遺伝子を制御していることです。この生物学的に重要な課題に対しても、ゲノム解析手法により、癌抑制型マイクロRNA-タンパクコード癌遺伝子(群)の新しい分子ネットワークを解明しています。研究プロジェクトとしては以下の4つのプロジェクトが進行しています。
Project Member
花澤 豊行 | (千葉大学大学院医学研究院 耳鼻咽喉科・頭頸部腫瘍学 准教授) |
吉川 直子 | (千葉大学大学院医学研究院 耳鼻咽喉科・頭頸部腫瘍学 医員) |
野畑 二次郎 | (Moores Cancer Center/Oncology, University of California, San Diego) |
木下 崇 | (Princess Margaret Cancer Centre, University Health Network, Toronto) |
福本 一郎 | (千葉大学大学院医学研究院 耳鼻咽喉科・頭頸部腫瘍学 医員) |
越塚 慶一 | (千葉大学大学院医学研究院 耳鼻咽喉科・頭頸部腫瘍学 大学院生) |
上顎洞扁平上皮癌の治療課題である局所制御と臓器温存の更なる向上を図るために、外科的手術に変わり、動注化学療法・放射線療法が開発され治療成績の向上が認められています。しかしながら、動注化学療法・放射線療法に抵抗性を示す症例が存在するのも現実です。また、合併症を抱える患者には、動注化学療法・放射線療法を施行できないことも少なくありません。これら問題を解決する為には、既存の動注化学療法・放射線療法に新しい治療法を組み込んだレジメの作成が必要であることは明らかです。本研究プロジェクトでは、低分子核酸医薬として注目されているmicroRNA(miRNA)を利用した、上顎洞扁平上皮癌の新規治療法開発に向けた基礎研究を行う提案です。我々のこれまでの研究から、上顎洞扁平上皮癌に対して腫瘍抑制効果を認めるmiRNAを複数同定しており、これらmiRNAの抗癌剤・放射線増強効果をin vitro、in vivoで検証し、低分子核酸医薬の可能性を探索しています。
(本研究に関する論文)
下咽頭・頸部食道扁平上皮癌は、集学的治療が成される現在においてもなお予後不良な癌の一つであり、進行癌患者の5年生存率は30~40%程度でると言われています。将来的には、進行癌患者に対する新規の治療法・診断法の開発が必要です。そのためには、下咽頭・頸部食道扁平上皮癌細胞の分子ネットワークの総合的な解明が不可欠であり、我々は、タンパクコード遺伝子と共に、非タンパクコードRNA分子の一つであるmicroRNA(miRNA)の概念を取り入れた解析を継続しています。このプロジェクトでは、これまでに我々が見出した下咽頭・頸部食道扁平上皮癌の癌抑制機能を有するmiRNAを基点とした、miRNA-mRNAの分子ネットワークを網羅的に解析し、今後の新規治療法・診断法の開発の礎となるデータを拾得する研究です。
(本研究に関する論文)
Project Member
市川 智彦 | (千葉大学大学院医学研究院 泌尿器科学 教授) |
布施 美樹 | (千葉大学大学院医学研究院 泌尿器科学 助教) |
五島 悠介 | (千葉大学大学院医学研究院 泌尿器科学 医員) |
西川 里佳 | (済生会習志野病院 泌尿器科 医師) |
黒住 顕 | (千葉大学大学院医学研究院 泌尿器科学 医員) |
加藤 繭子 | (千葉大学大学院医学研究院 泌尿器科学 医員) |
岡東 篤 | (千葉大学大学院医学研究院 泌尿器科学 医員) |
新井 隆之 | (千葉大学大学院医学研究院 泌尿器科学 医員) |
現在臨床的に有用な尿路上皮癌(膀胱癌および腎盂尿管癌)の腫瘍マーカーは尿細胞診検査です。ところが尿細胞診は検査法として特異度は高いが(90-95%)感度が低く(30-40%)、陰性であっても癌を否定できない欠点があります。近年、BTAやNMP-22などの新しい分子マーカーが開発されたが感度・特異度ともに良い成績が得られずブレイクスルーとなっていない現状があります。腎盂尿管癌では尿細胞診検査が陰性であった場合、診断のために侵襲の大きな尿管鏡検査が必要となることがあります。また、膀胱癌に対する内視鏡手術(TUR-BT)後の再発の診断には頻回に膀胱鏡検査が実施されており、患者への侵襲や医療コスト面の問題は無視できません。このような現状から非侵襲的で感度・特異度ともに優れた腫瘍マーカーの早急な開発が望まれています。
我々はこれまでに、microRNA (miRNA)発現解析から尿路上皮癌で発現変動する27種類のmiRNAのリストを同定し「miRNAプロファイルに基づく膀胱癌の検出方法」としてすでに特許を公開しています(特開2009-100687)。発現プロファイルから、癌で発現が低下していたmiR-1, miR-133a, miR-145に着目し、機能解析を施行してきました。その結果、これらmiRNAは癌抑制型のmiRNAとして機能し、さらにこれらの標的遺伝子(KRT7, FSCN1, LASP1, GSTP1等)は、癌遺伝子として機能し、増殖や浸潤を促進することを発見しました。新たな尿路上皮癌の網羅的分子メカ二ズムの解明を目指して研究を続けています。
(本研究に関する論文)
腎細胞癌は国内で年間約1万人が罹患し, 手術以外に根治的治療法がなく化学療法や放射線療法は有効ではありません。 このため転移・進行性腎細胞癌の5年生存率は約20%と著しく低い現状があります。インターフェロンを中心とした免疫療法の奏効率は15%程度と決して満足すべきものではありません。近年、Sorafenibや Sunitinib等のマルチキナーゼ阻害薬や、EverolimusやTemsirolimusなどの mammalian target of rapamycin (mTOR) 阻害薬が実用化されましたが、これら分子標的治療薬の奏功率は40%程度であり、延命効果は数カ月に過ぎないのが現状です。そこで新たな治療法の開発に向けて、機能性RNAを含めた先端的な癌・ゲノム研究を再試行し、腎細胞癌の増殖・浸潤・転移に関わる分子ネットワークを再構築することが必要であると考えています。
本研究の目的は腎細胞癌に特異的なmicroRNA (miRNA)の発現プロファイルをもとに癌抑制的または癌遺伝子的 miRNAを同定し、(1)これらの miRNAを介した腎細胞癌の分子ネットワークを解明すること、(2)miRNAの発現パターンによる分子標的薬の個別化治療(オーダーメイド治療)、(3)分子ネットワークに関わるmiRNAを治療用核酸として単独あるいは分子標的薬と併用すること、により新規腎細胞癌治療の可能性を探ることです。すでにこれまでの基礎研究により、腎癌で特異的に発現が変動するmiRNAのリストを保有しており、これを基点として分子標的薬剤がターゲットにしているパスウェイに関わる重要なmiRNAのサブセットを同定しています。
(本研究に関する論文)
尿路上皮腫瘍は常に尿に接しているので、その診断に尿中マーカーを使うのは合理的かつ効率的であると考えます。今回、我々は尿路上皮癌で発現が亢進していたmiRNAを尿中で測定することにより、癌の診断が可能になるのではないかと考えました。そこでmiRNA発現解析から得たリスト上位のmiRNA (miR-96, miR-183)について尿中での測定を試みました。その結果、この2つのmiRNAは癌患者と非癌患者を良好な感度・特異度で区別することが可能でありました。また腫瘍のステージやグレードと有意に相関し、根治的手術後には術前と比べて、その発現は有意に低下しました(日本癌学会総会で発表)。驚くべきは、尿細胞診で陰性であった44例中27例(61.4%)でmiR-96による癌の診断が可能であったことです。これまでに、miRNAを指標とした報告なく、我々の研究はアドバンテージを握っていると思われます。これまでの結果からmiR-96、miR-183の尿中における測定は有望な尿路上皮癌のマーカーになりうると考えてますが、さらに有望な候補miRNAを探し研究することで最終的には新しい尿路上皮癌の診断キットの開発を目指しています。
(本研究に関する論文)
Project Member
市川 智彦 | (千葉大学大学院医学研究院 泌尿器科学 教授) |
小島 聡子 | (帝京大学 ちば総合医療センター 泌尿器科学 准教授) |
布施 美樹 | (千葉大学大学院医学研究院 泌尿器科学 助教) |
五島 悠介 | (千葉大学大学院医学研究院 泌尿器科学 医員) |
西川 里佳 | (済生会習志野病院 泌尿器科 医師) |
黒住 顕 | (千葉大学大学院医学研究院 泌尿器科学 医員) |
加藤 繭子 | (千葉大学大学院医学研究院 泌尿器科学 医員) |
岡東 篤 | (千葉大学大学院医学研究院 泌尿器科学 医員) |
新井 隆之 | (千葉大学大学院医学研究院 泌尿器科学 医員) |
前立腺癌における課題の一つは、転移性前立腺癌の制御である。進行前立腺癌の約90%の症例が経過中に骨転移をきたすといわれていますが、その時点では既存の治療法に抵抗性であり、予後不良でることです。転移性前立腺癌に対する新規治療法の開発のためには癌の浸潤・転移のメカニズムの解明が必要ですが、未だその機序は明らかになっていないのが現状です。近年、タンパクコード遺伝子の発現を制御する機能をもつ、約22塩基長の小分子非タンパクコード遺伝子であるmicroRNA(miRNA)が注目を集めています。miRNAは標的とする遺伝子に部分相補的に結合し、その翻訳を阻害、あるいはmRNAを分解することによりその発現を制御します。部分相補的に結合するという特徴から、一つのmiRNAは複数の標的遺伝子を制御でき、逆に一つの遺伝子が複数のmiRNAに制御され可能性があります。このようにmiRNAと標的遺伝子により形成される分子ネットワークは非常に複雑なものとなります。現在、ヒトにおけるmiRNAは1,527種類が同定されており、ゲノム中遺伝子の約40-50%がmiRNAにより制御されているといわれています。癌においては、様々な癌種で発現異常を認めるmiRNAが報告されており、更にいくつかのmiRNAが癌遺伝子や癌抑制遺伝子を制御することで発癌促進あるいは癌抑制的に機能するという報告が次々になされています。
これまでに、miR-145は前立腺癌を含め食道癌、膀胱癌、大腸癌、卵巣癌といった多くの癌において発現低下が報告されています。また、miR-145はBNIP、IRS、c-Myc、YES、STAT1といった様々な癌遺伝子を制御することから、癌抑制型のmiRNAであることが示唆されています。また興味深いことに、癌において中心的な役割をもつ癌抑制遺伝子p53がmiR-145を介してc-Mycを制御する経路も明らかにされており、miR-145が癌において様々な癌関連遺伝子と相互に関与しながら癌抑制遺伝子として機能している可能性が示唆されています。最近では乳癌でmiR-145がMUC1を制御し細胞浸潤と転移を抑制したとの報告や前立腺癌においてmiR-145がEpithelial-Mesenchymal Transition (EMT;上皮間葉移行)を制御することにより転移巣の進展を抑制するという経路の報告もあり、miR-145が癌の転移においても重要な役割を果たす可能性が示唆されています。従って、miR-145及びその標的遺伝子により形成される複雑なネットワークを明らかにすることは癌の浸潤・転移のメカニズムの解明にもつながると考えられます。現在、前立腺癌におけるmiR-145の機能解析とmiR-145が制御する分子ネットワークの解明を目指し研究を進めています。また、miR-145以外の癌抑制型miRNAの探索も行っています。
(本研究に関する論文)
Project Member
井上 博雅 | (鹿児島大学大学院医歯学総合研究科 呼吸器内科学 教授) |
水野 圭子 | (鹿児島大学大学院医歯学総合研究科 呼吸器内科学 助教) |
俣木 浩子 | (鹿児島大学大学院医歯学総合研究科 呼吸器内科学 医員) |
隈元 朋洋 | (鹿児島大学大学院医歯学総合研究科 呼吸器内科学 大学院生) |
上川路 和人 | (鹿児島大学大学院医歯学総合研究科 呼吸器内科学 大学院生) |
肺癌は、世界中で、癌による死亡者数の最も多い癌です。近年の分子標的治療薬の開発により、非小細胞肺癌(肺腺癌)の治療に大きな効果を上げています。しかしながら、非小細胞肺癌(扁平上皮癌)や進行癌では、治療法に限界があり、未だ予後不良の癌です。鹿児島大学大学院医歯学総合研究科 呼吸器内科学と共に、非小細胞肺癌の中で、肺扁平上皮癌について、マイクロRNAを起点とした分子ネットワークの探索を行っています。これまでに、miR-1、miR-206、miR-133a, miR-29sなどのマイクロRNAの発現が、肺扁平上皮癌細胞で抑制されている事が明らかとなりました。更に、これらマイクロRNAが制御する分子ネットワークの探索から、肺扁平上皮癌の転移に関わる分子が明らかとなってきました。特に、細胞外マトリックス(ECM)構成遺伝子の発現異常が、ECM受容体を介する、癌細胞の遊走・浸潤のシグナルの活性化に繋がる事を見出しました。
臨床的には、肺癌の背景には、肺の線維化がある事が指摘されています。肺癌合併肺線維症の解析から、癌抑制型マイクロRNAであるmiR-29sの発現抑制により、コラーゲンの生合成に関わる遺伝子(LOXL2、SERPINH1)の発現異常を見出しました。これら遺伝子が、肺の線維化と癌の進展に重要な役割を担っている事が明らかとなりました。
小細胞肺癌は、全ての肺癌のうち13~15%を占める癌です。特徴として、極めて増殖能、転移能が高く、急速に全身に広がります。患者の多くは、診断時点にすでに進行癌であり、予後は極めて不良です。小細胞肺癌は、癌組織を得る事が難しい事から、臨床検体を用いたゲノム解析研究は殆んど報告がありません。この様な背景の中、小細胞肺癌の剖検検体からマイクロRNA発現プロファイルを作成しました。原発巣、転移巣で発現変化を認めるマイクロRNAについて、その機能解析と、マイクロRNAを起点とした小細胞肺癌の分子ネットワークの探索を行っています。
(本研究に関する論文)
研究内容