脳神経外科紹介

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当科の歩み

千葉大学脳神経外科は1971年に開設されました。初代教授・牧野博安、第二代教授・山浦晶、第三代教授・佐伯直勝、そして現在は第四代教授・岩立康男が脳神経外科チームを指揮しております。

Makino era (1971~1990)

初代教授
牧野博安

千葉大学脳神経外科は1971年1月に開設されました。当時の千葉大学第二外科助教授・牧野博安を中心とするグループと、精神神経科助教授・牧豊を中心とするグループが合流して千葉大学脳神経外科はスタートしました。

牧野は1953年からの7年間、米国に留学し脳神経外科を学びました。そして、当時我が国で産声をあげたばかりの脳神経外科を千葉大学に導入しました。

当時は「交通戦争」が社会問題化していた時代でもあり、千葉大学脳神経外科は特に重症頭部外傷の診療・研究に力を入れました。臨床では千葉大方式と呼ばれた広範囲減圧開頭術やその術後に随伴するsinking skin flap syndromeを提唱する一方、実験頭部外傷モデルを用いた頭部外傷の基礎研究を行い、国内外で高く評価されました。

この間、牧豊が筑波大学脳神経外科初代教授に、植村研一が浜松医科大学脳神経外科初代教授に、能勢忠男が筑波大学脳神経外科第二代教授に就任しております。

Yamaura era (1991~2004)

第二代教授
山浦晶

1991年、山浦晶が第二代教授に就任しました。山浦は、macrosurgeryが主流であった時代に、いち早くmicrosurgeryを米国から持ち帰り、我が国の脳神経外科におけるmicrosurgeryの確立に貢献しました。

山浦は脳血管障害を主な専門としましたが、特に椎骨脳底動脈系の動脈瘤の治療・研究に関しては他の追随を許さず、頭蓋内解離性動脈瘤の全国調査や韓国との国際共同研究を手掛けるなど、その自然歴の解明や治療法は国際的に高く評価されました。

一方、キアリ奇形と脊髄空洞症との関係を明らかにし、大後頭孔減圧術という新しい外科治療法を提唱しましたが、現在この手術法は脊髄空洞症における標準的手術法となっています。

山浦は、「Neurologia Medico-chirurgica」(日本脳神経外科学会機関誌)や「脳神経外科ジャーナル」(日本脳神経外科コングレス機関誌)の編集委員長を務めるなど、名実ともに日本脳神経外科学会のオピニオンリーダーとして活躍する一方、千葉大学医学部附属病院長としても活躍しました。

この間、吉井與志彦(琉球大学)、末吉貫爾(千葉大学教育学部)、難波宏樹(浜松医科大学)、佐藤章(埼玉医科大学)が各々教授に就任しております。

Saeki era (2005~2016)

第三代教授
佐伯直勝

2005年、千葉大学脳神経外科第三代教授に佐伯直勝が就任しました。佐伯は脳腫瘍の治療、特に間脳下垂体疾患の診断と治療を主な専門としており、我が国屈指の経蝶形骨洞手術数を誇りました。更に、経鼻手術にいち早く内視鏡を導入し、低侵襲で安全な手術 を行うことで、この領域の発展に大いに貢献しました。

また、頭蓋底外科、神経内視鏡、放射線化学療法など、豊富な治療モダリティを用いた多角的アプローチにより、脳腫瘍の治療において良好な治療成績をあげ、日本頭蓋底外科学会、日本神経内視鏡学会、日本間脳下垂体腫瘍学会などの脳腫瘍関連の主要な学会を主催し、大きな成果を挙げました。

更に、大学病院の特色である基礎医学との連携を活用した科学的根拠に基づく脳神経外科治療の基盤を作り、貢献しました。

Iwadate era (2016~2023 )

第四代教授
岩立康男

2016年、千葉大学脳神経外科第四代教授に岩立康男が就任しました。岩立は脳腫瘍の治療、特に悪性脳腫瘍の研究と治療を主な専門としています。難治性がんの代表的存在である神経膠腫(グリオーマ)に対して詳細な神経学的・電気生理学的モニタリングに基づく覚醒下開頭手術や遺伝子変異の有無による個別化医療を推進し、神経機能を温存しながら完全治癒を目指した研究・診療を行い、国際的にも高い評価を受けました。同時に、医学部の学生教育でも情熱と愛情を持って数多くの医学部生や大学院生などの後進育成に励みました。