千葉大学大学院医学研究院
産婦人科学講座
千葉大学病院
産科・婦人科
2013/12/11
千葉大学附属病院 周産期母性科
科長 生水 真紀夫
わが国の妊産婦死亡率は、出産10万あたりの5人程度となっています。国際的にみてもトップクラスの「安全な分娩」となっています。
平均すると妊婦の250例中1例に、大量出血や高血圧・脳出血など生命にかかわる重篤な病態が発生します。一部の発展途上国では、このような危機的状態に陥る妊婦のほとんどすべてが死亡しています(図1)。
わが国では、毎年5000人の妊婦がこのような危機的状態に陥り、そのうち99%の救命に成功しています。しかし、およそ1%にあたる50例の妊婦が、毎年死亡しています。
千葉県では、年間5万件余の分娩があり、毎年3~5名の妊婦が死亡しています。この15年あまり、千葉県では全国平均をやや上回る妊産婦死亡が発生していました。図2は、都道府県別の妊産婦死亡率と周産期死亡率(出生児1000人あたりの死亡数)を示したものです。残念ながら、千葉県は妊産婦死亡率も周産期死亡率もともに高いグループになっています。医療事情が似た埼玉、茨城も同じ状況にあります。
千葉大病院周産期母性科では2006年以降、院内各部署の支援を得て診療体制の整備を進め、重症例の治療に取り組んできました。その結果、幸いなことに、この8年、当科で受け入れた重症例全例の救命に成功しています。
しかしこの間にも、近隣の病院では死亡例が発生していました。
今回、「なんとかして、妊産婦死亡をなくしたい」との思いから、千葉大学附属病院の「母体救急救命のためのリソース」を、すべての地域医療施設に解放することにしました。
前述のように当科では、麻酔科・集中治療部など多くの部署の協力を得て、妊婦救命プログラムを作成してきました。さらに、定期的なドリルや見直しを実施するなど、人的・経済的にも大きな資源を投入して、この診療体制を維持・発展させています。
「3.5次」は滅多に起こらないことを前提にしています。その滅多に起こらないことが起こった場合にスムーズに対応するためには、定期的な練習(ドリル)が欠かせません。また、極めてまれにしか使うことがない薬剤でも、常備しておく必要があります。高価な薬剤ですが、期限切れになることも覚悟しておかなければなりません。このように、莫大な医療資源をつぎ込んで維持している体制ですから、地域の病院にも解放し有効に活用していただこうというわけです。
生命に関わることが確実となった危機的な状況にある妊婦を「3.5次」救急妊婦と呼ぶことにしました(表1)。これは、千葉県救急医療センターでも使っておられる用語です。いわゆる3次救急のなかでも、特に重症な症例です。
そして、この「3.5次救急」妊婦を受け入れて救命をめざす体制を「プロジェクトゼロ」と名付けました。地域全体で妊婦死亡ゼロを目指そうというわけです。
救命成功のための鍵は、①迅速で確実な妊婦搬送と受け入れと、②高度救命治療です。
そこで、プロジェクトゼロは、次の二つの2つにステップで構成されます。
命に関わる重症例が発生した場合、すみやかに、千葉大学医学部附属病院に「3.5次」症例であることを連絡していただきます。
千葉大病院では、大量出血あるいは意識消失などの最低限必要な情報に基づいて、来院前に輸血準備を開始し、治療準備体制に入ります。
このような迅速な搬送と受け入れを可能にするために、予め一次施設と当科との間で搬送方法や手続きの簡素化などについて個別に調整を行っておきます。実際の作業内容を表2に示します。
妊婦死亡の原因は、分娩時の大量出血、脳出血、産科DIC、羊水塞栓などです。そこで、千葉大学医学部附属病院ではそれぞれに対応するためのアクションコードを整備しています。
これには、緊急手術を迅速に実現するための「帝切グレード分類」、産科危機的出血に対応するための「コードむらさき」、意識障害患者の鑑別診断治療のための「コードX」などがあります。
いずれも、過不足なく適切な鑑別診断と治療とを実現するものです。産科特有の病態に対応できるよう整備しています。必要であれば、保険適用外の薬剤の使用も考慮します。学会などで定めたガイドラインの範囲を超えた治療となるのは言うまでもありません。
東日本大震災で学んだことの一つは、想定外を想定しておくことの大切さです。この場合、防災でなく減災の考えも参考になります。防ぎきれないほどの大きな災害では、被害を食い止めることを目指すのではなく、被害を小さくすることを目指すというわけです。
正常分娩経過中に、いきなりDIC・大量出血を来してショックに陥り、大量輸血を行っても出血が止まらない、といった事態は、考えたくもない状況です。しかし、そのような修羅場で、行うべきことは何か、最低限何を準備しておくのか、予め準備しておく必要があるわけです。
例を挙げて説明します。
どうしても止血できない危機的出血に、最近では活性化第7因子製剤を投与する治療法があります。最終手段ともいうべき治療法です。
この製剤は、血管内で直接凝固系を活性化させて血栓を形成します。出血は止まるのですが、脳や腎など全身に血栓症を来すリスクを伴います。また、大量出血時の止血目的での使用は、保険適用となっていません。
したがって、この薬剤の使用については責任の所在をあらかじめ確定させておく必要があります。実際に使用するかどうかの判断は、最終的には現場の医療者の判断です。しかし、薬剤使用に伴う医療上のリスク・結果責任を現場の医療者が負う可能性を残したままでは、担当者が現場で適切な判断を下すことは困難です。
あらかじめ一定の使用要件を定め、施設の責任者が事後の承認ができるようにしておくことで、責任をとることが可能になります。自分たちの施設で定められた手順にしたがって行動した現場の医師の責任は限られたものとなります。
このようなことは、緊急時の手術同意などでも同じです。意識の明瞭でない患者に手術内容を説明し、同意を得ることには意味がありませんし、むしろ害をなします。遠方の家族の到着を待って、手術を遅滞させることも同じです。
医師としての知識と良心に照らし、リスクを考慮しても緊急子宮摘出術手術が救命のために必要と判断した場合には、手術を施行してよいと決めています。もちろん、複数の医師の判断が一致することが前提です。
緊急事態はいつ何時でも起こり得ます。したがって、受け入れは24時間、365日体制でなくてはなりません。
この場合、大切なことの一つは確実性です。大抵は受入れ可能だが、時には、あるいは疾患の種類や重症度によっては受け入れができないこともある、要相談などという条件付では、照会のための時間的ロスが生じてしまいます。
さらに、受け入れには複数の医師が必要であり、産科医不足の現状では、このような体制を一次、二次病院が維持することはできません。
したがって、このような体制を取ることができるのは、大病院に限られます。「3.5次」が宣言された場合に確実に受け入れる体制は、大学病院といえども痛みを伴うものです。周産期母性科だけでなく多くの部署にも迷惑をかけます。経済的にも、見合わない診療です。しかし、このような診療こそが大学病院が果たすべき責務のひとつであろうと考え、病院長はじめ関係者のご支援とご理解を得てこのプロジェクトを始めることになりました。
千葉県では、「妊婦たらい回し」問題の解決策のひとつとして、母体搬送システムが整備されています。これは、母体搬送先が見つからないときに、県の委託を受けたコーディネーターが搬送受け入れ先に照会して、適切な受け入れ病院を探すというものです。このシステムにより、通常の病院間搬送がスムーズに行われるようになっています。
このシステムは、「妊婦たらい回し」が問題視された頃に、病院間の照会や調整を行うために整備されたものです。受け入れ先が容易に見当たらない場合に、やりくりして受け入れることができないか複数の施設に照会して作業を行うわけですから、搬送先の決定までには時間がかかります。また、コーディネーターは医療者ではありませんから、病態を考慮して照会するといった判断はできません。このように、母体搬送システムCMATSは、「3.5次」が想定するような救急妊婦を想定したシステムではありません。
一方、プロジェクトゼロでは、おのおのの一次施設が地理的条件などを考慮して、普段から緊急受け入れ先(連携先)を決めて、連携体制を整えておくものです。このような絆を作っておくことで、「かならず受け入れる」を実現しようとするものです。
千葉大病院としては、地理的な状況などを勘案して、千葉・市原・君津・木更津・山武等の医療圏を対象と考えています。その他の医療圏でも、それぞれ独自のやり方で妊婦「3.5次」救急体制が整備されることを願っています。
プロジェクトゼロの目的は言うまでもなく、母体の救命にあります。実際に母体死亡が減ることが、このプロジェクトの評価になります。
そのためにも、できる限り多くの一次施設に参加していただく必要があります。現在、年に3~4回連携強化のための勉強会を開催し、できる限り多くの施設に参加していただくようにしています。
緊急事態にも、とまどうことなくスムーズに搬送が行えることは医療者にとっても安全、安心に繋がります。
「あらかじめ想定された手順で対応した」という説明は、患者や家族にとっても了解しやすいはずです。不毛な医療訴訟の防止にも繋がる可能性があります。
このプロジェクトは、母体死亡を限りなくゼロに近づけたいという思いから始まりました。この動きが、県内、そして全国に広まっていくことを願っています。
プロジェクトの詳細は、千葉大学生殖医学講座ホームページにも掲載しています。また、連携のための「千葉産婦人科研究会」には、どなたでもご参加いただけます(図3)。(研修会の運営のためのご厚志も受け付けております。)
このプロジェクトは、地域の産科医療機関の多くの皆様に参加していただき一緒に作り上げていくものです。地域「さんか」プロジェクトと銘打っています。皆様のご参加とご協力、ご理解をお願い申し上げます。
最後に、プロジェクトの遂行と維持にあたり多くの皆様にご支援・ご協力をいただいています。皆様に深謝申し上げます。
CMAM 2013.11月号 第65号No.11より転載