留学だより

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北本 匠:平成20年卒 米国コロンビア大学

 2008年卒の北本匠と申します。 2017年4月より米国コロンビア大学に研究留学に来ております。ここに至るまで、学内外問わず大変多くの先生方にお世話になり、その感謝を感じる日々です。私の留学はまだ道半ばではありますが、若い先生方のキャリアデザインの参考になれば幸いです。1回の投稿では、すべてを伝えきれないので、3回に分けて投稿したいと思います。

 「留学をすることで、自分の全てが試される。」 留学前に私のメンターである横手先生から頂いた言葉です。期待と不安に満ちていた渡米直後から多くの経験を経て、この言葉の意味を体感しています。

 私の所属先であるAccili Labには常に、9つのベンチに一人ずつポスドクが座っています。概ね3-4年のサイクルで、誰かがPIとして独立あるいは企業に就職すると、空いたベンチに次のポスドクが来ます。他にlab tech、secretaryが2名ずつ在籍し、ポスドクの実験や書類仕事を手伝ってくれます。概ね9amにラボに来て、6pmには帰宅するという生活を送る方が多く、週に1度のラボの全体ミーティングに加え、ボスと個人的にディスカッションを行う時間が設けられています。
 Mimmo先生 (Accili教授を皆そう呼んでいます)は偉大な業績を築かれてこられたいわゆるBig guyですが、とても懐の深い素敵なお人柄で、ラボの雰囲気を何よりも大切にされています。そのため、皆が優秀であるだけでなく、明るく、仲間同士で助け合おうとする空気が常に流れており、私自身もこうした関係性に幾度となく救われてきました。
 Mimmo先生は私達の提案に決してNoと言わず、私達のアイデアに対して常にいくつかの疑問を投げかけます。その疑問はアイデアの新規性やデザインの問題点を再考するきっかけとなり、アイデアの修正や次の実験計画に繋がります。このような、相互的な関係性の中で自身のアイデアを最大限に試される環境は、自分自身で研究を進める上で極めて重要であり、このラボが歴代大きな発見を続けてきた理由の一つでもあると思います。ラボの運営という意味でも大切なことを学ばせて頂いています。

アメリカでの私生活について

留学便り2回目の今回は、「アメリカでの私生活について」をお届けします。

 仕事では日本人同士の会話はありませんが、私生活では日本人同士のコミュニティがあることも大変重要です。実際ポスドクの家族同士での繋がりには幾度も助けられてきました。また、2018年1月よりマンハッタン内の日本人理系サイエンス勉強会 (JASS: https://jass-newyork.webnode.com/)の代表幹事となり、日本人研究者との交流を行っています。NYは各分野の専門家のレベルが極めて高く、非専門家へのプレゼンテーションも明快です。これまで物理、化学、医学生物学、天文学、経済学、機械学習・人工知能など多岐に渡るテーマの御講演を頂きました。参加者のレベルも高く、私も糖尿病分野のプレゼンをしましたが、会場からは医療者とは異なる視点での鋭い質問をたくさん頂き、大変勉強になりました。 この他にも日本人医師として、健康活動のための講演会やフリーペーパーへの記事の寄稿、ラジオへの出演などの機会もありました。NYにおける日本人同士の繋がりからも非常に良い刺激を頂いています。

 留学直前に結婚し、妻と二人での渡米でしたが、それを決意してくれた妻にはとても感謝をしています。渡米直後の大変な時期をなんとか乗り越えられたのは彼女のおかげです。私の都合で医師としてのキャリアを止めてしまったことを申し訳なく思っていましたが、ヨガや料理などこちらでの生活を存分に楽しみながら、コロンビア大学の修士課程に入学し、夢を叶えようと努力している姿をみて、大変嬉しく頼もしく思っています。また、渡米1年半後に娘が生まれ、3人家族となりました。大変なことも多いですが、ラボメンバーをはじめたくさんの方々に祝福していただき、幸せな時間に恵まれています。現在9人のポスドクのうち、5名が子育てをしながら研究をして成果を挙げており、フレキシブルな働き方を許容する豊かな環境も実感しています。

私が尊敬する上司たち

留学便り最後の3回目は、「私が尊敬する上司たち」をお届けします。

 留学する意義というのは人それぞれだと思います。私の場合は、目の前の患者さんから決して逃げないPhysicianになるために自分のキャリアを選択してきました。5年間臨床医として働く中で、誰にもわからない病態を呈する患者さんに出会う機会が増えました。当時千葉大学の内分泌学教室の講師であった田中知明先生 (現 千葉大学分子病態解析学教授)がお話されていた、細胞・遺伝子レベルで患者さんを診ることができるように、という言葉が印象に残り、基礎研究の手法に興味を持ち始めました。横浜労災病院の西川哲男先生、大村昌夫先生からは多くの臨床データを如何にまとめ表現するかを御指導頂き、その発想の背景に基礎研究のご経験があることを肌で感じる機会に恵まれました。その後の4年間に大学院に入り、竹本稔先生、三木隆司教授の元で基礎研究の手ほどきを受けました。こうした経験を経て、自身の診療経験から着想する診断・治療に役立つ現象を臨床研究により明らかにし、未知の病態を基礎研究により解明することが出来るPhysician Scientistになることが私の目標となり、医師という立場で、常に臨床への応用と還元を最終目標として糖尿病研究をされているAccili教授の元へ留学を希望しました。

 渡米前のような忙しく職務に追われる日々とは異なり、制限がなく、あらゆる面で恵まれた研究環境ですが、こうした環境下では全ての選択が自分次第であり、結果は全て自分の責任です。どんな言葉を用いても言い訳にはなりません。研究活動、家族との時間、人間関係、アウトリーチなど、何にどのくらい時間をかけるかを選択し、納得して進めていくには、自分自身が何に幸せを感じるのか知り、本当にやりたいことは何かという当たり前の疑問に答える必要があります。渡米してからというもの、こういった根本的な質問に対し、私の中に曖昧な部分がいくつもあることに気付かされることが多く、それが今までにない苦悩を招きました。研究では自身の力不足を痛感することも多く、それも追い打ちとなって、今までにない苦しい時間でした。現在は、こちらでの様々な出会いと常に隣で支えてくれている家族のお陰で、少しずつ答えが見つかりはじめており、それに伴い研究も前に進み、1つ目のプロジェクトがまとまりつつありますが、あの苦しかった時間も財産であると感じております。

 この留学が叶ったのは幾つもの幸運が重なったからでした。まず留学助成を頂いている日本学術振興会と、来年から助成を頂く上原生命科学記念財団に感謝を申し上げます。また、Accili教授の元への留学の扉を開いて頂いた、群馬大学北村忠弘教授、神戸大学清野進教授に心より感謝を申し上げます。そして、今も変わらず臨床研究の御指導を頂いている横浜労災病院名誉院長の西川哲男先生、医学部卒業後一貫して、医師としてのキャリア形成に様々なアドバイスを頂いた横手幸太郎教授にこの場をお借りして感謝を申し上げます。

 いずれ日本で後進の育成と日本の医療、生命科学に少しでも貢献できるよう、引き続き学びたいと思います。長文を御高覧頂き、ありがとうございました。