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Barthelemy l'Anglais, Livre de la proprieté des choses
Barthelemy l'Anglais, Livre de la proprieté des choses
作者unknown 原画製作年15th century 所蔵フランス国立図書館(フランス)

「バルトロメウス・アングリカスの著書の挿絵より 15世紀の版画」
男性の死体を解剖する5名の学者が描かれている。15世紀はルネサンス初期のあたりであり、人体に対する興味が湧き出してきた頃といわれている。イギリス人のこのバルトロメウスはフランシスコ会に入会し、パリで神学を教えていた人物である。

Ms Hunter 364 Top v14 fol.59 Frontispiece, John Bannister Lecture with Dissection
Ms Hunter 364 Top v14 fol.59 Frontispiece, John Bannister Lecture with Dissection
作者unknown 原画製作年1580年 所蔵グラスゴー大学図書館(スコットランド)

1540年、ヘンリー8世は床屋外科医が働く組織に、1年に4人の犯罪者の遺体を解剖することを許可し、1557年からはこれらの解剖への出席が義務付けられた。この絵画の真ん中にいる人物、John Banister (1533-1610)は1572年に床屋外科医となって組織に入り、その後すぐに解剖学の講師になった人物であり、「解剖学を中世の束縛からルネッサンスに解き放った人物」と呼ばれている(Buckland-Wright1985)。
この絵では、バニスターが理髪師のホールで解剖学の講義をしている様子が描かれている。バニスターの傍らには二人の解剖学者が立っており、一人はメス、もう一人はプローブを手にしている。テーブルの反対側には、白い防護服に身を包んだ二人の執事がいる。バニスターは、『De re anatomica...』の八分冊第二版 (1562年,レアルド・コロンボ著)を用いて教鞭を執っている。現代ヨーロッパの解剖学は、このレアルド・コロンボによる『De re anatomica ...』から大いに影響を受けた。コロンボはパドヴァ大学のヴェサリウスの助手であり、彼の後を継いだ人物である。この絵画はヨーロッパで最も古く、最大の大学図書館の1つであるスコットランドのグラスゴー大学図書館に所蔵されている。

Mundinus, the Italian Anatomist, Making His First Dissection in the Anatomy Theatre at Bologna, 1318
Mundinus, the Italian Anatomist, Making His First Dissection in the Anatomy Theatre at Bologna, 1318
作者Ernest Board (1877–1934) 原画製作年20th century

この絵は、1912年頃にヘンリー・S・ウェルカムから依頼された歴史画家アーネスト・ボードによる、医学と科学の歴史にまつわるエピソードを描いた26点以上の絵のうちの1点である。1318年、イタリアのボローニャ大学の解剖学教室で最初の解剖を行うイタリアの解剖学者、モンディーノ・デ・ルッツィを描いた作品である。モンディーノ・デ・ルッツィ(1270-1326)は、イタリアの医師、解剖学者、外科教授で、解剖学と解剖の体系的な研究を医学のカリキュラムに取り入れた最初の人物であり、ボローニャ大学で医学生や見物人が見守る中、初の公開人体解剖を行った。この解剖はバチカンによって正式に認可されたもので、対象は処刑された女性の犯罪者であった可能性が高いといわれている。モンディーノは、普段は演台の上から指示を出し床屋外科に解剖をさせていたと言われている。しかし、時々演台を降りて自ら解剖を行いながら講義を行った事もあった(諸説あり)とされる。その経験をテキストや教育に取り入れたという点から、その教育方法は当時ユニークなものであった。1316年に書かれた彼の主著『Anathomia corporis humani』は、近代的な解剖マニュアルの最初の著書であり、最初にして真の解剖学テキストとされ、250年間最も広く使われた。

The anatomy lesson of Dr Nicolaes Tulp. 1632
The anatomy lesson of Dr Nicolaes Tulp. 1632
作者Rembrandt Harmenszoon van Rijn(1606-1669) 原画製作年1632年 所蔵マウリッツハイス美術館(オランダ)

有名な「テュルプ博士の解剖学講義」という作品。
描かれているのは、ニコラス・テュルプ(Nicolaes Tulp)博士で、博士が腕の筋肉組織を医者に説明している場面である。 死体は矢作り職人アーリス・キント(Aris Kindt)のもので、その日の午前、強盗の罪で絞首刑になったとされる。見学者の一部は、絵に描いてもらう代金を支払った医者たちである。17世紀における解剖学講義は社交イベントであった。テュルプ博士が市制解剖官を務めていたアムステルダム外科医師会では、年に1体、処刑された犯罪者の遺体を使った公開人体解剖が認められており、解剖劇場(anatomical theatre)と呼ばれる公開専用の解剖実習室で、学生や同僚の博士、一般市民が入場料を支払い見学する中行われていた。 見学者は、厳粛なる社交イベントにふさわしい服装を着用することが求められた。 後側と左の人物像を除いて、これらの見学者が後から絵に描き加えられたと思われる。
17世紀、テュルプ博士のような高い地位にある医師は、解剖のような卑しく血なまぐさい作業は行わず、専ら床屋外科に回されていた。 このため『テュルプ博士の解剖学講義』にも、床屋外科により解剖済の死体を使って、講義をしている様子が描かれている。 代わりに、右下の隅に、巨大な解剖学の教科書が開いて置かれている。 これはおそらく、1543年にアンドレアス・ヴェサリウスが著した『ファブリカ』こと『人体構造論』(De humani corporis fabrica)と思われる。死体の顔には、一部影がかかっているが、これは「 umbra mortis 」(死の影)と呼ばれ、レンブラントがしばしば使用した技術である。 絵には左上の隅にサインがあり、「 Rembrandt f 1632 」と書かれている。 これはレンブラントが自分の名を絵に署名した最初の例であり、イニシアルのみのサイン「 RHL 」(Rembrandt Harmenszoon, Leiden 、ライデンのレンブラント・ハルメンスゾーン)とは対照的である。 彼の芸術的評価が高まってきていた証と考えられる。

The Anatomy Lesson of Dr. Frederik Ruysch
The Anatomy Lesson of Dr. Frederik Ruysch
作者Backer, Adriaen(1635-1684) 原画製作年1670年 所蔵アムステルダム美術館(オランダ)

「フレデリック・ルイシ博士の解剖学講義」という作品。
フレデリック・ルイシ(Frederik Ruysch、1638‐1731)は、17世紀から18世紀にかけてのオランダで最も著名な医師の一人である。65年以上にわたり、アムステルダム外科医協会の解剖学講師(Praelector Anatomiae)を務めた。この間、ギルドの劇場で多くの解剖を行い、解剖学を教えた。ルイシュは、その優れた解剖技術と解剖標本の革新的な保存技術で国際的に有名であった。1670年に描かれた「フレデリック・ルイシュ博士の解剖学教室」は、外科医ギルドの役員を記念して描かれた群像画と考えられている。ルイシュは、死刑囚の死体から鼠径リンパ節を解剖しているところを描かれている。この肖像画は、「リンパ系」に焦点を当てた最も初期の絵画の一つである。

解剖実習室

Anatomical Study, illustration from 'De Humani Corporis Fabrica' Anatomical Study, illustration from 'De Humani Corporis Fabrica' Anatomical Study, illustration from 'De Humani Corporis Fabrica' Anatomical Study, illustration from 'De Humani Corporis Fabrica'
Anatomical Study, illustration from 'De Humani Corporis Fabrica'
作者Andreas Vesalius(1514-1564) 原画製作年16th century

Andreas Vesalius(アンドレアス・ヴェサリウス,1514-1564)
西洋医学の歴史において最も影響力のある著作の一つである『De Humani Corporis Fabrica』(人体の構造について)は、ベルギーの解剖学者で医師のアンドレアス・ヴェサリウス(1514-1564)が28歳の時に構想・執筆したものである。初版を出版したときヴェサリウスはまだ30歳であった。ヴェサリウスは現代人体解剖学の創始者といわれ、かつてベルギーで発行されていた5000フラン紙幣に肖像が使用されていた。1564年、彼は聖地巡礼の旅の途中で船が難破し、ザキントス島で49歳で亡くなっている。

『De Humani Corporis Fabrica』(人体の構造について)
アンドレアス・ヴェサリウス(1514-1564)が急進的な『人体の構造について』を発表した当時、ヨーロッパの医学界ではまだアリストテレスやガレノスの古文書が権威あるものとして扱われていた。ヴェサリウスは、自ら解剖を行うことで、古代の教えの誤りを発見したのである。
この誤りを指摘した『De Humani Corporis Fabrica』は、当初は権威ある医学界を脅かすものだったが、最終的には賞賛され、シャルル5世の侍医となり、この巻を捧げることになった。
ヴェサリウスのテキストには、ティツィアーノの工房で学んだヤン・ステファン・ファン・カルカル(1499-1546)を含む熟練したアーティストたちによる200以上の木版画が丁寧に収められている。『De Humani Corporis Fabrica』以前の解剖学書では、これほど完全で優れた図版はなく、教義的な意図もあるが、美的価値にも優れている。扉絵では、ヴェサリウス自身が大広間で大勢の観衆を前に講義をしており、床屋外科に解剖をさせ医師は演台で講義のみを行うという伝統を破って死体の真横に立ち、自らの手で解剖しながら講義をしている。有名の版画の一枚には、遠い町や低い地平線の風景の中に、苦痛や思索のポーズをとるように立つ、皮を剥がれた人間や骸骨を描いたものがある。彼の作品には、肉体の構造を示すだけでなく、人間の神秘的な側面への関心が込められている。

Anatomie Studien über die Schulter Anatomie Studien: Bauch und Brustkorborgane.
Anatomie Studien über die Schulter Anatomie Studien: Bauch und Brustkorborgane.
作者Leonardo da Vinci(1452-1519) 原画製作年16th century 所蔵Windsor Castle, Royal Library

レオナルド・ダ・ヴィンチは、生涯で240枚以上の個別図と13,000字以上のメモを含む18枚のシートを作成した。レオナルドがいつ解剖を始めたかは定かではないが、当時医学研究の中心地であったミラノに移ってから数年後であったろうと思われている。もともと芸術家としての修行のために行っていた解剖学の研究は、1490年代には独立した研究分野へと発展していた。鋭い観察眼で人体の構造を解明していくうちに、レオナルドは「人間の道具的な姿(figura istrumentale dell' omo)」に魅了され、自然界における創造物としての肉体の働きを理解しようとするようになった。彼は生涯に30体の死体を解剖したという。特筆すべきは、生前、レオナルドの医学的研究は私的なものにとどまっていたことである。彼は自分を解剖学の専門家だとは思っておらず、教えたり、研究結果を発表したりすることもなかった。

Anatomia uteri humani gravidi tabulis illustrata by William Hunter
"Anatomia uteri humani gravidi tabulis illustrata" by William Hunter
作者Jan van Rymsdyk 原画製作年1774年

画家Jan van Rymsdyk(ヤン・ファン・リムスダイク, 1730-1790)
ヤン・ファン・リムスダイクは、オランダの画家、彫金家である。1767年リムスダイクは、フレデリック・ヘンリー、エミリア・ヴァン・ソルムス(オレンジ公爵夫妻)のメゾチント版画を制作した。その腕前からウィリアム・ハンターと仕事をするようになり、ハンターの『子宮解剖学』(1774年)の版画の一部を制作した。

この2つの絵は、スコットランドの解剖学者William Hunter(ウィリアム・ハンター, 1718-1783)の「Anatomia uteri humani gravidi」(ヒトの妊娠解剖学)から引用したものである。ハンターは当時を代表する産科医で、この本は彼の最も有名な出版物である。解剖図の描き方は、レオナルド・ダ・ヴィンチを手本にしている。版画はリムスダイクが制作した。 この2つの絵は、満期の子宮を正面から開いたもので、致命的な出血を引き起こした胎盤(胎盤早期剥離)の剥離を示している。

A sett of anatomical tables, with explanations, and an abridgment, of the practice of midwifery by William Smellie
"A sett of anatomical tables, with explanations, and an abridgment, of the practice of midwifery" by William Smellie
作者Jan van Rymsdyk 原画製作年1780年

William Smellie(ウイリアム・スメリー,1697-1763)は、スコットランドの産科医である。産科マネキンを発明し、産科鉗子を設計、逆子の出産の手順を工夫し、手引書を出版した。ウイリアム・スメリー著作の『解剖図表と産科の実際』(1754年)は、産科学の分野に重要な貢献をした。これは、出産や妊娠を描いた解剖図をまとめたものである。わずか100部しか印刷されなかったが、その詳細さと解剖学的正確さにおいて画期的であった。そのうち3部が日本に輸入され、片倉元周が『産科発蒙』などで紹介した。この絵は陣痛が進んで骨盤の中に沈み込んだ胎児の頭部側面図。リムスダイクのイラストを元にAndrew Bellが銅版画を作成したもの。

CALラウンジ

The Agnew Clinic
The Agnew Clinic
作者Thomas Eakins 原画製作年1889年

『アグニュー・クリニック』は、解剖のデモンストレーターで外科学教授のデビッド・ヘイズ・アグニュー医師がペンシルベニア大学の教壇を退いたのを記念して依頼されたものであり、アグニュー博士が医学部の円形劇場で乳癌の切除を行っているところが描かれている。アグニュー博士の傍らには J. ウィリアム・ホワイト教授、ジョセフ・レイディ教授、ペンシルバニア大学病院医師エルウッド・R.博士が補佐している。看護婦はメアリー・U・クライマー。右端には同じくペンシルバニア大学の医師であるフレデリック・H・ミリケンと作者であるイーキンズ本人と話をしながら受講している様が描かれている。
アグニュー・クリニックの円形劇場に描かれている医学生は18名で、1887年から1889年までHUPトレーニングスクールに在籍した学生である。"The Agnew Clinic" は現在もペンシルバニア大学の所有物であり、一般の方はフィラデルフィア美術館でこの絵を見ることができる。

Anatomie Studien: Schulter und Arm / Knochen des Fusses. Anatomie Studien: Zunge, Rachen, Kehlkopf und Speiseröhre
Anatomie Studien: Schulter und Arm / Knochen des Fusses. Anatomie Studien: Zunge, Rachen, Kehlkopf und Speiseröhre
作者Leonardo da Vinci(1452-1519) 原画製作年16th century 所蔵Windsor Castle, Royal Library
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