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About CALについて

CAL設立の歴史

 医師が解剖する事ができない時代がついこの前まであった。このような事実が信じられますか?
 医学部の学生時代に数ヶ月の時間を費やして解剖を学んだにも拘わらずです。日本では「死体解剖保存法」と「医学及び歯学の教育のための献体に関する法律」により解剖に厳しい制限が掛かっており、主に授業としての学生教育と正常構造を明らかにする研究しか行えませんでした。また解剖を行うには死体解剖資格を取得もしくは解剖学の教授か准教授にならないとできないという制限もありました。臨床医が医師の仕事をしながら死体解剖資格を取得することはほぼ無理であり、この制度はあくまで研究者のための資格だったのです。

 患者さんに直接触れる立場のプロフェッショナル達にもご遺体を使った解剖教育や研究が必要だという考えは多くの人が持っていました。ところが医師が解剖することは法的に守られていないこと、そもそも大学は大学所属の学生・教員のための組織であり、大学以外に所属する人材のための組織を作る予算など構造上捻出できないという問題を抱えていました。

2010年

 たとえ大学がサポートできなくても、「良い医療に必要な人材を育成するための CAL設立は必ずやり遂げる」という強い意志が私たちにはありました。外科系講座と解剖学教室が団結し、自ら運営費を捻出しています。献体をしてくださる千葉白菊会の皆様にも、学生以外へご遺体の活用を広げる同意書へのサインを求め、賛成多数による支援を頂くことができました。こうして医学部教授会で正式にCAL設立が認められました。2010年の事です。

 CALは書類上は設立されたのですが、まだまだ問題を抱えていました。学生教育に使用するホルマリン固定によるご遺体は、腐敗しないメリットはあるものの、組織が変性して固くなります。関節は曲がりませんし、内臓も動かせません。当時世界の主流であった凍結屍体(冷凍保存)が必要でしたが、腐敗を止めるホルマリンで固定していない死体には、感染症のリスクが残ります。学生の解剖実習室で凍結屍体を使用する事に対し日本解剖学会の関係者から何度も懸念が伝えられました。また、学生の解剖実習は3ヶ月以上に及ぶため、外科系講座からも通年で使用できる専用部屋の確保が望まれました。

 昭和11年(1936年)に東洋一の近代病院として竣工した千葉大学医学部附属病院は、昭和53年(1978年)に新病院に移転し、その後医学部本館と命名されて学生教育や研究の場として使用されました。解剖実習室は半地下に設置され、以来令和2年(2020年)までそこで解剖実習が行われてきました。解剖実習室の周辺には封鎖された部屋がいくつかあり、そこを改装してCALを設置できないか検討しました。

 2つの部屋を数十年ぶりに開放して調査したところ、照明も壊れて真っ暗でした。最初に照明を修理して明るくしてみましたが、壁はなぜか黒いままです。よく見ると壁はビッシリと黒カビで覆われ、入室すら憚られるような状態(写真1と2)でした。

2011年

 CALの主旨に賛同した外科系講座から寄付を募り、腐った壁を取っ払い、クリーニングと改装を施し、手術シミュレーション室(写真3)とCAL研究室(写真4)を設置することができました。これがCALの第一期です。2011年の4月から運用開始を計画しましたが、3月11日の大震災による計画停電が続いたため、ご遺体の冷凍保存ができませんでした。電力の不安が無くなった6月から本格運用が開始し、当時、日本初の専用施設としてスタートしました。狭い手術シミュレーション室に手術台2台を設置し、40名近い人間が歩く場所もないような熱気の中でご遺体で勉強させて頂いた記憶があります。

 知名度が高まるにつれ、全国から医師が集まるようになってきましたが、日本全国の医師の教育・研究を支えるだけのキャパシティはありません。本来、すべての医学部が備えるべき施設です。ちょうど同じ頃に日本外科学会でも法的な問題を解決するべくワーキンググループが立ち上がり、日本解剖学会、法的・倫理面の専門家を交えて議論が始まりました。この結果が、2012年の「臨床医学の教育及び研究における死体解剖のガイドライン」の発行に繋がります。

 千葉大学はガイドライン発行時点で、既に運営体制を確立し多くの実績を上げているパイオニアとして認知され、多くの大学のモデルとケースとなりました。

2013年

 CALはさらに参加する外科系講座が増え、多彩なプログラムが企画されるようになってきました。それにつれて、多くの講座からもう少し広い空間は作れないのかという要望がありました。そこでさらに周辺を探すと、見たことも無いような長い鍵と分厚い鋼鉄の扉(写真5)で封鎖された部屋がさらに奥に発見されました。昔のボイラー室だったと噂される空間で、手術シミュレーション室の倍以上の広さでした。照明が故障していたため懐中電灯で侵入してみたところ、病院移転時に不要となった昭和時代の遺物がぎっしりと詰め込まれた部屋であり、ホラー映画さながらの空間でした。詳細は決して記すことができませんが、ここを有志から寄付金を集めて改装したのがCAL手術室(写真6)です。手術台4台を設置して、稼働を開始したのが2013年でした。

 広い手術室の完成で多くの医師がCALで学ぶ事が可能となりました。CALへの参加者数の激増は、結果として医療現場からの必要性の証明となります。そして遂に2018年より厚生労働省は全国の医学部に新規にCALを立ち上げるための予算処置を開始しました。この数年で一気に全国の半数弱の医学部でCALの仲間が誕生しています。千葉大学の取り組みの成功が国を動かす一因になれたことを心から嬉しく思います。

2021年

 2021年4月医学部が新棟に移るに当たり、これまでの10年に渡る経験からより安全で使いやすいCALを一から設計しました。何もない廃墟でホウキとちりとりを持って掃除を始めたあのときから、少しずつ大きく発展させてきました。「一念岩をも通す」の言葉が示すとおり、「法的にグレーだからできない」と言われ続けたCSTを日本に導入することができました。

 千葉医学に伝わる3つの教えの1つに「begin.continue」という言葉があります。
千葉医学 - 3つの教え

 私たちは確かに新しい事を始めました。このまま立ち止まらずに歩み続けます。